へし切は主の頼みに、軽やかに返事をした。主から宗三を呼び寄せるよう、仰せつかった。
「分かりました。呼んでまいります」
宗三に次の出陣の隊員選ばせているが、その返事が遅い為早々に聞きたい、とのことだ。文机に散らしていた書と筆をいったん片付ける。その流れで、部屋左隅の柱に目が止まった。
確保している資源の数を示す、カラクリの掲示板が柱に掛けてある。半刻前まで豊富にあった資源が、明かに目減りしている。呆然と眺める間にも50、100と数が引かれる。
へし切は顎を引き、目を閉じる。眉間を親指と人差し指でくいくい揉む。
頭を上げないへし切を不思議に思ってか、主も掲示板を見上げる。みるみる、顔が青く染まっている。
「奴は刀装部屋にいましたね。すぐ辞めさせます」
眉間を抑えた手を離し、主の傍から飛び出した。



木製の戸を勢いよく押し開けた。へし切は刀装部屋に乗り込む。階段上の下長押に鎮座する、人影が在った。
「宗三左文字は居るか!?」
名を呼びつけると、肩がびくりと震えた。
「へし切、なんです?」
ゆったりとした声音が、高座からへし切にかけられる。顔だけを入り口に向けて、光を背に立つへし切りを見止める。
「主命だ。すぐに刀装作りを、」
やめろ、と言いかけ言葉を失う。十五畳の板の間のいたる処に、消し炭となり崩れかけた刀装が転がっている。資源が飛ぶ早さで消費された証だ。
無駄になった資源の量を考えると目眩に襲われる。しかし倒れている暇などない。消し炭を避けて声の届く距離まで近づいた。
「刀装作りをやめろ。主命だ」
「まだ辞められませんよ。必要な数、揃ってないんですから」
ふい、と首を振った。手元をごそごそ動かし、新たな刀装作りに励む。少なく見積もってもそれぞれ弐万は費やしたのだ。並や上の兵は出来ている筈だ。
「下手くそな癖に金兵が欲しいと、無謀な量を費やしたんだろう」
返事はない。当たりだ。
「・・また失敗しました」
消し炭が飛んでくる。へし切は向かってきたそれを、器用に手の甲で払い落した。
意地でも動かないのであれば、引きずり降ろしてくれると階段に足をかける。つま先を乗せた時、足首にガツンと歩兵並玉が当たる。
「このっ」
刀装を慌てて両手で拾い上げた。銀の玉に『投』と掘られている。並みでも大切な資源を消費して生まれた刀装だ。遠征を繰り返し、苦労して手に入れた過程を思えば痛みなど我慢できる。モノを投げる不作法を注意する矢先、違う声が降りてきた。
「おや、騒がしいと思えば織田の打ち刀でしたか」
手摺の影に隠れて気付けなかった。江雪左文字が、居た。
まるで薄汚れた犬を蔑む様な、冷たい眼差しをへし切りに注いでいる。
左手を階段に向けて、刀装を投げたままの形を残していた。近寄るなとの牽制だ。
ちっと舌打ちが重なった。へし切の口と、間違えなく江雪の口から捻りだされた輪唱だ。
「俺と知って、落としたか?」
「いえ。宗三が作った刀装を磨いておこうと思いまして。手が滑っただけです」
狂わず当ておいて、白を切る。頃合いが悪ければ、刀装を踏んで転んでいた。
(いや、むしろそれを企んでのことか)
へし切は、江雪に決して好かれていない。その逆もしかり。
理由など語るに足らない。恋敵だからだ。
へし切は宗三左文字を好いている。
出会った頃は「お飾り以下の刀」だの「打ち刀最弱の己を返り見ろ」など手酷く罵った。裏を返せば意図せぬ間に傾国の眼差しにくらりと射貫かれていた証拠で、不慣れな戦場に立ち、現実の非道さに瞳を覆う憐れな姿を見たくなかった。長い年月待ち望み、ようやく飛び出した高い空の元、溜め込んだ鬱積を晴れやかに蹴散らし、歩き回って欲しいと願う己は甘いだろうか。
これも惚れた弱みだ。
身勝手な想いは胸の内に秘めたまま、壁穴にだって漏らしていない。酒で口が滑らかになろうとも、へし切長谷部の惰弱と決して打ち明けなかった。
鍵までかけた宝物の中身を、何故、江雪が知っているのか。わざわざ刀身を剥き出し刃向って来られれば想像は容易い。
この男も宗三を好いている。弟としてではなく、意中のヒトとして色眼鏡をかけている。
へし切が何故、それと言い張るか。へし切も同等の目で、宗三を見守っているからだ。同じ穴のむじなには、むじなの腹事情が手に取るように分かる。
暮らしの中にも、異質の兄弟愛は散漫している。
昼寝だからと弟の膝を枕にしたり、面倒だからと髪を梳いてもらう兄がいるか。
枕が欲しいなら襖から取り出せば良い。肉付きの薄い男の膝など痛いだけ。髪など鏡が無くとも自分で梳ける。手がかかる赤子でない。
もっと確信的な証言をしよう。
恋仲になった暁に、へし切が宗三としたい事柄ばかり。薄い腿を我慢してでも、端正な顔を見上げてみたい。頭を梳かれるよりは、桃色の髪に触れて微笑みあいたい。
欲望のベクトルが、同等なのである。
極めつけは、宗三を目の届く処に置くため捏ねる途方もない駄々。「宗三と小夜と一緒でなければ、出陣したくありません」とのたまう。
加えて、へし切の卑下と擦り込み教育も忘れない。
「織田の打ち刀は(私に比べれば)あれで頼りになりませんから。本当の処近従勤めが精一杯なのでしょう」
宗三に好き勝手風潮してくれる。
「だからぁ?」と澄まし顔をへし切りは詰ってやりたい。
こちらにも主と言う審神者の、刀剣男子には神と等しい手がある。へし切が主の傍に居る限り、采配を歩が良いよう振れる狡賢さを忘れて貰っては困る。
左文字三兄弟の出陣に混じり、誉れを掻っ攫うなどお手の物。太刀に劣るからと挫け、活路を近従に見出だし腰を落ち着けているなどと、宗三にだけは誤解されたくない。
あまりの陰鬱さに、へし切も時には耐えかねた。傍に居て過保護な兄が煩わしくないかと、慰めを求めて宗三に尋ねもした。
「江雪は僕を大切に思ってくれています。兄弟を得た暮らしは、とても幸せです」
表情を緩めた。ざまあないと、へし切りも兄を鼻で笑った。兄弟の壁は、早々に越えられまい。
「宗三に用が有ってな。兄上殿は席を外してくれまいか」
口外できない話ではないが、江雪がいると気が散る。
「直属の家臣でもない男に下げ渡された打ち刀の分際で、また私の弟に意地の悪い話でもするのですか」
へし切が宗三にとる連れない態度を懸念すると見せかけて、巧妙に割り込んでくる。
人を嘲る撫で声が癪に障る。刀装を握る手に力が入った。
へし切を「織田の打ち刀」と蔑む呼び名も気に食わない。下賜されるに留まった刀でないぞ、とへし切りは吠え返していた。
「悪いが、身分を引き合いに出さないでもらおうか。黒田の手に渡った先で戦後の貧困に売られもせず丁重に扱われてな、昭和28年3月31日に国宝指定にされた。お前と今では同等だぞ・・ん?」
肩は並んでいると威張った。レア太刀だろうが性能が高かろうが、へし切の知った処ではない。元太刀の矜持もある。いつか覆して認めさせてやる気愛は十分だ。
「過程より結果を重要視するようですね。結果が全てと思う男など、考えが偏りすぎて危険です・・」
がらがらと音を立てて江雪が抱えていた刀装が散らばる。競りに掛けられた過去は、江雪にしても喜ばしい経歴でないらしい。
この男にも弱点が有ると知れば、愉快にもなる。名高い左文字の銘の尊厳が、崩れかける瞬間だ。
「これで、いいんでしょうか?あ、江雪、散らかして。ダメですよ」
やっと金兵を作り上げた宗三の喜ぶ声音が、お門違いのように険悪な空気に混ざる。四方八方に散っていく刀装に気づいて、腰をあげた。
「俺が危険?俺からすれば、兄弟にそれも弟に過剰な愛情を向けるお前の方が危険だが。正気のつもりか?」
「何を言います。日の本のそもそもの始まりは、兄妹の情愛から始まったのですよ?兄弟の情愛は普遍的に存在するものです。それを危険と?ああ、結果を重要視する刀には、物事の起こりに隠れた仔細な過程など、  ど  う  で  も  よ  か  っ  た  で  す  ね」
お前が抱えているのは、嫌らしい兄弟の愛情だろう。それを神話に擦り合わせるな、と吹っ掛けたい。最早揚げ足取りの言葉の殴り合いが続く。
「過程も結果も大切ですが、へし切何の用です」
散らばった刀装を追いかけ、籠に集めた宗三が言う。
「ああ、主がお前に任せた任の隊員編成をいい加減報告しとろ」
「それでしたか。久々の隊長で色々考えているうちに報告を怠ってしまいました」
出陣の為に、苦手な刀装作りに励んでいたらしい。
「何処へ行くのですか?」
「近頃本能寺の変の改変を防ぐ任があるらしいので、その下見に」
「本能寺」
「宗三、大丈夫なのですか。本能寺ですよ」
桶狭間に続き、本能寺は宗三の身を左右する一大事だ。下見に行くだけでも精神的な疲労を心配してしまう。へし切も江雪の声も強張る。
「そんなに心配せずとも大丈夫ですよ。何処まで敵が歴史に関与しているか、偵察するだけですし」
「戦の有る無しでない。お前の心の持ち用を心配しているのだ」
宗三が肩を竦める。
「手酷い仕打ちを受けましたが、この刻印の御蔭で僕は有ることを許されてきました。もちろん恩なんて、感じていませんよ。籠の中に閉じ込められた分、恨み尽くしました」
表情から笑顔を消して影を作る。気持ちは遠の昔に整理し、定めてしまったのだろう。
「・・それに、少し嬉しいんですよ。魔王が生きている地に、降り立てるなんて。金柑頭に打たれる前の間抜け顔、見れるかもしれないじゃないですか」
「意地が悪いでしょう」と鼻を鳴らす。卑屈さを否定するように、江雪が宗三の手をとる。
「宗三、お前は魔王に今でさえ苦しめられていると思っていましたが。それも私の思い込みでしたね」
へし切りが言わんとしたことを、一字一句なぞられ腹立たしい。
「刀の本分は半ば奪われてしまいましたけど、意気地だけ残して馴染んでしまえば、暮らしは悪くなったんですよ」
織田の時分を思い返せば、確かに宗三は魔王の掌に有った。無茶な扱いはされていない。
小首を傾げ、上目使いで気恥かしそうにハニカム。照れ笑う姿は柔らかい身色と相まって淫靡だ。
くらあと目眩を覚えるのは当然だ。だが、へし切も江雪もそれに当てられている場合ではない 。
「魔王の元へ訪れて、挨拶をしましょう。お前が世話になった礼もしなくては」
「魔王はあれでお茶が好きなんですよ。持って行って差し上げましょう」
「待て待て。主から遡った時代の人物と接触するなと言われているだろう。下手をすれば歴史を変えてしまう」
「・・・そうですよね」
与えられた役割を思い出させてやる。宗三が肩を下げた。あまりの落ち込み様に、へし切の胸が痛む。
「・・・・・魔王の、お顔を遠くから見るだけだからな!!いいな、遠くからだぞ!!」
へし切りも魔王に会いたいとは、口が裂けても言えない。許しが出て、宗三がぱあと顔を綻ばせる。
「よかった。もう蜂須賀と歌仙と山姥切に今回ついて来てくれる よう頼んでいるんです。ここで止められたら、どうしようかと思いました」
「その数だと、どうせ人が足りていないのだろう。付いていってやる」
「私も共に参りましょう」
「助かります。主に伝えてきますね」
刀装を抱え、階段を下る。へし切の元へ歩み寄ると、握っていた刀装を下さいと手を出した。
「要るのか?並だぞ」
「ええ、僕が使いますから」
優しく乗せてやる。宗三が刀装を掴んだ時、指が触れあう。へし切も宗三も、言葉なくしばし指先を見詰めた。
つやりとした刀装越しでも、手放すのが惜しい。宗三にそれとなく覗き込まれていると気付いて、そっと腕を引いた。
宗三はそれだけを、籠に入れず懐に仕舞うと踵を返して行ってしまう。
一瞬訪れた甘い間を打ち砕くように、ガツン、と鈍い音が響いた。
残された江雪が、持っていた鞴で余った銀の刀装を砕く。へし切を睨みながら、言う。
「本当に、本能寺まで付いてくるのですか。主の傍で主命を仰ぐのが生き甲斐では」
「お前こそ、嫌いな戦場に立つんだぞ。お前が貴ぶ和睦の道などどこにもない」
「・・執拗な男ですね。追いかけた処で、宗三は見向きもしませんよ」嫌みを続けられる。
江雪を宗三が兄としか見ていないように、口煩い過去の同僚と煙たがれているくらい、へし切も承知の上だ。
鬱積を抑えて生きる宗三を、羨望で引き裂き愛情に甘やかす我が儘な仕打ちができたら良かった。手荒な真似の末、惚れた相手の泣き顔は見たくない。思い余って臆病な呆けモノが二人、肩を並べて居る。してやれる事と言えば、これ以上深い谷に落ちてしまわぬように、そっと足元を支えてやるだけ。
江雪もへし切も、宗三を想う根底は変わらない。へし切が昔の好で丈夫な草履を選んで履かせてやり、江雪が宗三の手を兄の優しさで引いてやる。それで宗三が歩き出すなら、惚れた冥利に尽きるのではないか。
見込みがないからと、簡単に諦められない。下賜された先の黒田紋に咲く、藤の花言葉を言い聞かせる。
「決して離れるつもりは、ないからな。執拗も誉め言葉だ」
執拗だ。執念深い。へし切もそう思う。
この意地っ張りは、牢に繋がれた楔を打ちきり這いあがった黒田の強さだ。不屈の精神だ。
前の主に裏切られた悲しみに、へし切はしずしずと沈んでいない。黒田の巴を紋に新しく刻み、不屈さを教わった。長い年月、丁重に扱われる身に苦汁を舐めれど、歪みはしなかった。
さあ、江雪左文字。『織田の打ち刀』が培った黒田の意地に戦け。へし切長谷部は容易く、諦めない。
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